近所の区民ひろばの英会話サークルに通いだしました。

ご近所の人ともっと交流したいという想いがいつの頃からか強くなってきた。名古屋から東京に出てきた頃はそんなことは全く思わなかった。きっと、外の世界への憧れが強くあったからだ。もちろん今もその憧れはあるし、ツイッターやフェイスブックで自分と共通点のある見ず知らずの人と交流することは大好きだ。普通に仕事をしながら生活していると、仲良くなる人種は『会社関係の人』と『昔からの友人』の2種類だ。なかなか出会わない人種は『外国人』と、そしてなぜか自分の近くに住んでいる『ご近所さん』だ。最近はLang-8やLivemochaという語学学習サイトを通じて外国人と交流をはかることが容易になってきた気がする。じゃあ、ご近所さんと交流をする方法はいったい何があるのだろう。と、考えていた時に区の掲示板に「英会話したい人募集!イギリス人講師と会話を楽しもう」というポスターを見つけたのだった。さっそく通うことにした。


先生も生徒も60代以上だった。驚いたことに、みなさんけっこう流暢に英語を話すのだ!僕が参加した日は仮定法の勉強をしていてちょっと難しい。最後に『上を向いて歩こう』の英語バージョン(英語のタイトルはsukiyaki song)を歌うんだけど、渡されたプリントの歌詞が激しい筆記体で読みづらい。みんなたどたどしく歌い上げると、曲が終わった直後に、先生が絶妙なタイミングで「terrible!!haha!!(ひどいね!)」と大声で笑った。僕はこのセリフを聞いた時、どういうわけか言いようの無い興奮を感じた。込み上げるものがあった。これだ、この絶妙な間とひどいことを率直にユーモアを込めて言い放つこの世界観。自分がsitcom(『フルハウス』とか『フレンズ』などの海外のシチュエーションコメディ)の舞台の上にいるような気がした。上級で洗練されたコメディの世界に心地よく身をゆだねることができたのでした。これは僕が幸せを感じるひとつのポイントだ。

なぜ僕が近所の人と交流したいのか、自分でもよくわからないけど、おそらく団地育ちのせいだろうか。生まれた頃から高校時代まで大型の団地で暮らしてきた。家を出れば友達のお母さんとすれ違い挨拶をしたし、団地の中央の公園に行けばいつも知っている友達か先輩がいた。それが自然だった。自分の家の近くに住んでいる人と挨拶をしたり、交流をすることが当たり前だった。いや、交流という言葉はふさわくなくて、「自分の家の近くに住んでいる人は知り合い」という状態と感覚だ。きっとこういう経験は団地育ちの人だけじゃないと思う。小学生や中学生の時は、周りに知っている人がいるという環境がごく自然だったと思う。べつに近所の人と交流する必然性も無いし、そうすべきとも思わないけど、なんとなくその方が自然なことのように最近思う。そしてなによりとっても楽しいし幸福感があるのだ。今の僕にとっては。

僕がジモアという媒体に求めるのはこの点だ。もっと街のことを知って、自分の住んでいる街をもっと好きになる。そしてご近所の人やお店の店員さんと無理なくフランクに会話できたりするような世界を作っていくこと。